護摩を焚くのは

 

護摩壇(ゴマダン)に入れられた護摩木(ゴマギ)がパチパチと音をたてて燃え上り、ゆらめく赤い炎を通して、いかめしいお不動さまのお姿などを拝むと、日頃のあくせくした思いを忘れ、ひたすらお析りの心に打ち込んでいくのが見えるような気がします。

護摩はインドの言葉hama(ホーマ)の音を写したもので、燃すとか、火祭りとかいうことです。仏教以前からインドにあった行をとりいれて、悪魔をしりぞけ、福を求める修法の一つとしたものです。

災(ワザワイ)をやめ、福をますことは誰でも願うところですから、お正月や、四季の折々に護摩をたいて、ご祈願するのは結構なことですが、災とは何か、福とは何かについて反省をもっている必要があります。災をおこす悪魔は、実は自分の心の中にいる煩悩であり、自分だけが幸福になろうと思うことが、他人の不幸を願う悪業とならないよう心がけることが大切だと思います。

交通安全の護摩をたいて、お願いしたからもう大丈夫というわけにはいきません。むしろ自分自身を護摩壇として、いつも安全運転の護摩木で心の乱れを燃し尽すのが護摩をたく本当の心でしよう。形だけにとらわれると、もぬけのからだけをありがたがる「似て非なるもの」になりかねませんから、お互いに気をつけたいものです。

◎底浅き小川は音をたてて流れ、満水の河はおのずから静かなり(スッタ・ニパータ(経集))



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